街と山のあいだ
更新日:2020年5月24日
『街と山のあいだ』
アノニマ・スタジオ KTC中央出版
2017.9
(落語風に)
えー、コロナ禍の今、「ソーシャル・ディスタンス」なんてことを言われておりまして、年頃の娘が三人もいるわが家ではとっくに「ファーザー・ディスタンス」状態だってぇのに、今さら冗談じゃねぇや、ってねぇ。
さて、本を読んだら書いてあったことに影響されるなんてぇことがよくあります。小説にコーヒー飲んでるシーンが出てきたところを読んで、ドーナツ食べたくなっちゃったな、とか、ファッション雑誌眺めているうちに、このテイストを自分にも取り入れてみよう、とか。
ご紹介したいこの手に収まりのいい小ぶりの本は、読んでると「山に行きたくなる本」ってヤツでしてな。
著者は「山と渓谷」という雑誌の副編集長を経て、山や自然、旅の本や雑誌をこしらえてきた人で。もう、山のぼりについてはガチな人なわけですけど、その文体にマッチョなところはみじんもなくて、とても丸みをおびているというか、さながら、いきつけの食堂のオネエサンのような親しみやすく読みやすいものです。
で、まぁ、あちこちの山にのぼって、ああだった、こうだった、ということや想い出なども書いてるんですが、タイトルに含まれているように、時おり、人と人との「あいだ」についても、印象的なフレーズがいくつか出てくるんです。例えば、「一緒に山に行く相手というのは、話さないでいてもいい。話さなくてもわかり合えるとお互いが思っている相手というのがいちばん望ましい」とか、「そういえば、彼と一緒に山に行ったことはない。けれども行ったらきっといいだろう。山へ行かなくても行ったら楽しいだろうと確信できる友人は、街でも貴重な存在だ。」なんてね。エヘヘ、言われてみたいねぇ、どぉも。また、「よく見えるのもいいけれども、なにもかも見えなくてもいい。なにもかも見えることが、必ずしもいちばんよいことではない。見えないときにこそ、よく見えるものもある。」なんて、山からの景色のことを語っているようで、人と人とのあいだがらや世の中のことを、それとなーく伝えてんじゃねぇか、ってことばにも味があるね。
自然相手にするなかではさ、立ち止まって、人のこころやからだの健康について思いを巡らしたり、生き死に立ち会ったりと、いろいろ考えることなんかもあってね。後半の、山へ行く人を送るときの儀式にしてきた「握手」、死の床にある元上司を見舞うかどうか迷う「木村さん」ときて一転、「誕生日の山」では、山で見た美しい風景を目にして「人生はやはりすばらしい。人生に山があってよかった。」と人生賛歌につなぐとこなんざ、本の構成もお見事!グッとくるよ、ホントに。挿絵も著者が描いたんだって。イイネ。
あたしはこの本で、山へ行った人と同じ場所や思いを追体験しよう、ってなことじゃなくてさ、やっぱり興味としてはこの人の書く「人」のほうになっていったね。最近、旅の本も出したっていうじゃあねぇか。読む楽しみがふえてうれしいね。
どーでぇ、ちっとは山へ行きたくなったかい?ここじゃあたしも本読んで、気分だけでも「エア・登山」よ。もっとも、普段は書斎派なんでね。ま、山や図書館へ行くのはもぅちっと先になりそうだから、ホームページをいろいろ眺めてるって寸法よ。ま、「パートナー・ディスタンス」だけは、ご勘弁願いたいね!シャレんなんねぇから!
おあとがよろしいようで...(U)