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春を待ちつつ・宮沢賢治書簡

更新日:2020年5月1日

『藤村全集 9巻』

島崎藤村/著

筑摩書房

1967

『宮沢賢治全集 9巻 書簡』

宮沢 賢治/著

筑摩書房

1995.3

高校生の頃、地元の図書館で題名に惹かれ手に取った『春を待ちつつ』。その図書館で所蔵していたのは岩波文庫版だった。53編の評論・随筆・感想等を集めた感想集である。芭蕉やイプセン、ドストエフスキーなど多種多様な作家論・作品論に、人生観、世相や創作に関する随筆など、内容は多岐にわたる。日野市立図書館所蔵の『藤村全集』では第9巻に収められている。

表題作である「春を待ちつつ」を読んだとき、ああこの人も生きていたんだ、と思った。改めて文字にするとなんとも間抜けな感想だが、紙の上の存在であった遠い過去の文豪に、確かな体温を感じられた気がしたのだ。静かな感動を覚えた。嬉しかった。

文章全体の美しさに心を奪われ、青年時代の回想に自分の今とこれからを重ねた高校生の私は、この1編をノートに書き写して大切に持っていた。

宮沢賢治の書簡を読んだ時も同じような感覚になった。

1933年に書かれたこの手紙は、教え子だった柳原昌悦に向けて書かれたもので、「宮沢賢治の最後の手紙」という朗読を交えた合唱曲にもなっている(文章は一部省略されている)。

この手紙の中で、賢治は自身の行いを「惨めな失敗」と言い、「あなたは賢いしかういふ過りはなさらないでせうが、しかし何といっても時代が時代ですから充分にご戒心下さい」と助言する。思い上がり、「完全な現在の生活」を味わうこともせず「じぶんの築いていた蜃気楼」が消えるのを見て...と語られるくだりには、まるで自分のことを言い当てられているようで、その冷ややかな視線にどきりとさせられる。

たしかこれを初めて見たのは、花巻の宮沢賢治記念館だった。記念館では農業の面からも文学の面からも賢治について語られ、多くの人がその世界に魅了されている。だが賢治自身は、こうして時に絶望したり悔やみながら自分の歩んできた人生に思いを馳せていたのだと知った。

この人も私たちと同じように、この人にとっての日常を生きていたのだと思った。

手紙の十日後に賢治は亡くなり、これが最後の手紙となった。執筆時も病に苦しんでいたが、手紙は「また書きます」と結ばれている。

それもまた私は心を掴まれる。そこに生があるように思う。(S)

※「春を待ちつつ」は、大正14年アルスより刊行されたものを国立国会図書館デジタルコレクションで読むことができます(インターネット送信資料のため、ご自宅でご覧いただけます)。また、二人の作品は青空文庫で読めるものも多くあります(ただし、今回ご紹介した2点は掲載されていません)。国立国会図書館デジタルコレクション・青空文庫に関しては「電子資料への入り口」をご参照ください。