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図書館長の本箱

更新日:2020年4月22日

『移動図書館ひまわり号』

前川恒雄/著

夏葉社

2016.7(筑摩書房 1988.4を底本に復刊)

移動図書館ひまわり号

日野市立図書館は、1965年9月21日、1台の移動図書館の巡回から図書館サービスを始めました。巡回先では、「簡単な手続きで、その場で本が借りられます。利用はすべて無料です」と懸命に呼びかけていました。その頃の日本の図書館は、だれでも気軽に本を借りることができるものではなかったからです。図書館とは受験生に席貸しをするための建物であり、本はとても少なく、新しい本はあまりなく、市民に「良い本」を読ませるよう指導することが役割だと思われていたようです。

初代館長の前川は、1台の移動図書館車にすべてを賭け、図書館の本来の役割をはっきりと見せることにしました。図書館とは、建物のことではなく、市民一人ひとりが求める資料を提供するシステムそのものである-市民への本の貸出し、そこにない本でもリクエストを受け付け、蔵書になければ購入し、購入できなければ他の図書館から借用して貸出すことに徹しました。このようなリクエストサービスは日野が初めて行ったものです。

「毎日、日野を回るから」ひまわり号と名付けられた移動図書館は、子どもたちをはじめ日野の市民によく利用され、くらしの中に欠かせない存在となっていきました。その利用に応えるために本の購入費を増額し、職員は使命感を持って日々働きました。この日々の実践は、日本の図書館を変えていくモデルとなりました。やがて市民に「動かない図書館」がほしいと求められるようになり、身近な地域の分館設置を始めました。1973年4月には、移動図書館や分館をバックアップするための中央図書館を開館します。図書館のサービスを形で表し、歳月を経るほど美しくなる建物を、との前川の注文に、建築家・鬼頭梓が応えた建物です。

『移動図書館ひまわり号』は、初代館長による日野市立図書館の開設から中央図書館開館までの記録であり、それまで日本になかった「市民の図書館」を目指して、困難な状況の中で全力をふりしぼって跳んだ図書館員と市民の物語です。読み返すたびに胸があつくなり、背筋が伸びる思いです。

2020年4月10日、初代館長・前川恒雄は肺がんにより他界いたしました。享年89歳。日野市立図書館長、日野市助役を務めたのち、1980年に滋賀県立図書館長となり、1990~1998年には甲南大学文学部教授を務めました。前川の目指した、資料の提供によって市民の自由な思考を支える図書館とは、今も私どもが不断の努力によって目指し続ける「市民の図書館」の姿です。時が落ち着きましたら、ともに跳んだ市民の皆様とともに、その足跡を偲ぶ機会を設けたいと考えております。