①『父の生きる』、② 『ベニシアの「おいしい」が聴きたくて』、③『無人島のふたり 120日以上生きなくちゃ日記』
- ①光文社、②山と溪谷社、③新潮社
- ①2014年1月、②2024年3月、③2002年10月
詩人・伊藤比呂美の文章に惹きつけられて著作物を読み返してきた。どれを読んでも文体が違うようなのに、どの本も「伊藤比呂美」が書いたな、と思わせるのが魅力なのかもしれない。アメリカ・カリフォルニアに生活の拠点を置きながら、介護のため熊本にいる父のもとに通い、看取るまでを綴った『父の生きる』(伊藤比呂美/著 光文社 2014.1)。広い海を飛行機で行き来し介護するなんてどうなっちゃうんだろう、と想像しただけで思考停止となるが、そのような状況こそ書き残すのが詩人なのかもしれない。好きなページは七月十日(金)の箇所で、句点が最後までないまま具体的な事象が羅列して語られ、まるで詩を読んでいるようだ。テレビ放送でもよく知られていたベニシア・スタンリー・スミスさんが昨年6月に亡くなられた。『ベニシアの「おいしい」が聴きたくて』(梶山正/著 山と溪谷社 2024.3)はベニシアさんを看取るまで、そばにいて寄り添った夫の梶山正さんが感じた後悔や悲しみ、憤りが感じたままの素直な文章で書かれている。『無人島のふたり 120日以上生きなくちゃ日記』(山本文緒/著 新潮社 2022.10)は余命宣告を受けた小説家の著者が、2021年10月に亡くなるまでの奮闘記録日記だ。「この期に及んでデッドエンドを掴めてなく、(セールで)安くなっていたパジャマを買う」というくだりを読んだときは、「いつか死ぬ、それまで生きる」ということばが綴られていた『父の生きる』をまた手に取った。家族との別れ・「最後のとき」をゴールテープに、「看取る側」を伴走者に例えて思い巡らした。伴走者は一緒にテープを切ることはできず、握っていたその手を離し先にテープを切ってもらうしかない。そして、その背中を見送ることしかできず、ひとり、置き去られた悲しみが胸をいっぱいにする。(T)